伝統文化・伝統芸能「鎌倉時代」
鎧直垂は鎧の上に着たものである。平安朝中期頃から鎧の為に直垂の裏が破れたりして、実は不便が多かったから、何時の間にやら鎧の下に着るようになったのです。よって、直垂と同じではあっても、袖口が小さく、袴も短く、袖や袴の裾には括緒をし、縫い目には菊綴を総(ふさ)として数多く飾ったので、直垂とは別物の感を呈した。よって、武門では晴れの服にもされたりした。織物も良い物を使うようになった。武士の最後を飾る事にもなる物だから、晴れの姿として扱われるようになったのであろう。錦の直垂は大将に限られる物となったりした。布衣「ホウイ・ホイ」。狩衣の無文の物であり、布製で六位以下の人が着た。狩衣に同じく袖括と裾括があるから軽くて利便。大紋と布直垂は、鎌倉時代には、布直垂があり下級の武士が着た。五位の緒大夫が着た物らしい。もちろん、直垂と同じではあるが、袖が二幅であり、袖括が露となり、胸紐と菊綴が共に丸打の紐となっている。

薺(なずな)は、正月の七種の一。花咲。実をつければ、三味線草・ぺんぺん草とも言う。根ぎわから羽状に裂けて、八方に拡がったその若苗を摘んで、七種粥に入れるのです。春の七種の中でも、芹・薺と最も一般的な物に数えられ「二なずな」と言い、特にこの二種を粥に入れる事がある。七種の囃し言葉にも。御行は、春の七草の一つで母子草の事。母子草は「鼠麹草」とも書く。キク科の越年草で、畑や野原、路傍等至るところに生える。正月の七種粥に花のないこの草を摘んで用いる。それで、御行の名で呼ばれている。仏の座は、キク科の二年生植物。春の七種の一つとしてよく知られた冬草。円座をなして地にはりついたような姿で生えているところから、この名がある。たびらこは、田平ら子の意。

数の子は、アイヌ語で鰊の事をカドと言い、東北地方でもカドと呼ぶ所がある。鰊の腹子(卵巣)であるが、カドの子が訛り数の子と呼ばれるようになったと言う説。又、多産で子孫の繁栄の意によせて、数の子と言うようになった説。この意味での縁起から正月料理に欠く事の出来ないものとなっている。数の子には、干し数の子と塩数の子がある。
数の子に老の歯茎を鳴らしけり 「高浜虚子」
押鮎は、鮎を塩漬にしておもしを加えて押したもの。古く歯固に供せられた食品で、年始に用いる魚で年魚と言われるので、年の魚として新年の祝いにされたものであろう。押鮎だけで元日を祝った事が記された「土佐日記」。土佐の名物であった事が知られる。現在では、正月料理としてあまり知られていない。