◆ 初代会長 大内五三 ◆

日本人ときもの それはもっとも美しい民族衣装であり、そのえもないわれぬ艶やかさ、優雅さはすばらしい伝統芸術と申せましょう。きつけといたしましてはエレガントに上品に、いきにとTPOに応じ自由自在に着こなし、きもの姿の美しい女性の立ち居振る舞い、仕草の創出は消えることのないあなた自身の魅力となることでしょう。
あなただけのセンスをきものの中から見出だしてください。

幼少から結婚するまでの間、日本舞踊(先生が、芸者さんだったのですが、素人の家の五三は、本当に芸者さんになる人を大変厳しく教えていた、又、三味線を習っていた、先生も、芸者さんで、芸者さんにバチて、手をたたいたり、火鉢の粉をかけているのも、見ていた先生をみて、政治家になりたいと幼心に思ったそうです。)、華道、茶道、お琴、三味線などをならい、踊りでは役者さんをお願いし、踊りの会を会長の父がさせ、造船所の仕事(造船所を営んでいた、大内菊松)がおわると従業員の疲れをとるため、会長はお琴を弾いて、女中さんがたらふくお酒などを振る舞っていたとのこと、五三の母親の(旧姓 菅しげ大三島小町で、横たわって煙管タバコを吸っているだけで、チップを船をおろす時だけでもだいたい1000円もらっていた。その当時1000円で、家が建てれた。、鎧甲冑の国宝7割のある、大三島にある大山祇神社で、皇太子様が皇太子になる時、必ず御参りにくる来るところ)兄がU.S.A.で事業をしていたため、その当時たくさんの洋服や帽子、コートや靴、きものは東京の三越で買っていました。

なんせ、一人娘であったため大事に育てられていたからか、私(朝子)から言うのもなんですが大変優しい会長でした。さすがにそれを目標にすることはできませんが少しづつでも近づければ嬉しいです。会長や学院長に恥じないよう頑張ってまいりたいと思っております。愛媛銀行の社長をし、親戚なのですが、今は、相談役をしております。ミナミの笹川さんに、よく食べに行っておりました。(右翼とは、右のつばさ。隊列の右方。右方の部隊。また、その兵、日本は、右方の思想。の事)(保守派の意味 現状維持を目的とし、伝統・歴史・習慣・社会組織を固守する主義。)

戦争の時からの話になりますが、主人が「これから死に行くから」と言い手を振るわせらがらお酒を飲み戦争に行き、「誰かと再婚しろよ」と五三はいわれたとき、私は頑張って子供二人をなんとか育てようと思ったそうです。近所のかたが、子供をだっこしたり、可愛がり剛さんは、優しいね、全然えらそうにもしないと、剛といいますがいい男と本当に思ったそうです。当時、剛は政治家になるため第一高等学校から東京大学法学部へ合格したが、父に医者になることを薦められ、大阪大学医学部に籍を置く医学博士で軍医となった。父は家具の貿易の為、マニラへ渡り成功を治め、マニラの首相と交流があった。(行岡健吉)マッカーサーが日本に来日した時、自主的に同時通訳をしていました。初代会長は女学校を出ており、剛はまだ学生でしたが、結婚しました。また、男の子兄弟も全員戦死、女の子たちは戦争に行かなくてよかったため姉妹は看護婦で大阪大学看護科第一外科に勤めておりました。五三の兄は九州の門司で造船所をしておりました。(好きな人もいてないのに毎日毎日、若頭領、若頭領と芸者さんによばれ芸者さんをあげ続け、五三の父親が、良い家柄の嫁さんと結婚させ勘当し、財産は、少しだけ兄にあげ、残りは全て五三が相続しました。)また、外孫の松本正洋が大阪・神戸で数件歯医者の病院をしております。関西で一番大きいインプラントセンターをしております。

その当時一番大きい某協会に入り、1968年大内きものチャームスクール設立。円満独立、そのことは新聞にものり、ようやく「大内きもの学院」が生まれました。それから数十年、学院長が日本舞踊をつづけそして朝子をうみ、またすぐにおどりを習っておりましたところ、生徒さんがたから踊りを教えたらいいのではと言われておりましたが、趣味と思っていたとき、顔見世努力賞などをはじめ賞をもらいようやく教えだすスタートになりました。それから数十年後朝子が短大卒業後、学院長初め認定校の先生方がいろいろな伝統文化・伝統芸能の資格があり、今現在の「大内きものカルチャーアカデミー」と改名、その時新舞踊では段々と認められ現在の名になりました。それからは元の名と現在の名とが入り乱れ、もちろん経営は変わっておりませんが「大内きもの学院」のほうが可愛いなどおしゃるかたなどまた「大内きものカルチャーアカデミー」の方がお洒落など意見があり、インターネットでひくときは「大内きもの」「おおうちきもの」「大内 きもの」「大内カルチャー」「大内 カルチャー」「大内アカデミー」「大内 アカデミー」となってしまいました。着付けの卒業生である、医療法人聖志会渡辺歯科診療所、理事管理医師渡辺浩子先生に後援会、いつみ会の会長をお願いしており、渡辺第二病院の(今は婿様子様がされてますが、だいぶまえから、長者番付に乗られてます。)(1997年頃に相談はすんでおります。)お母様にあたります。着付祭典や踊りの会等も見にこられて、現在も会長としてお願いしております。

「一芸は道に通ずる」といい、どのような芸でも奥義を極めた者は、他の物事でも理解する道を知っている。また、「医者の薬も匙加減」、「悪人には友多し」悪人は利益で人集め、仲間をつくっていくので友達が多いが、「悪に強きは善にも強し」といい、大きな悪事を犯す悪心の強い人間は、一度悔い改めると、すばらしい善人になる。「家を破る鼠は家から出る」といい、国や家を混乱させ破滅させる者は、外からではなく、国や家の内部にいるもので、「家貧しくて良妻を思い、国乱れては良相を思う」と貧乏すると、やりくり上手な良妻が欲しくなり、国が乱れることから、リーダーシップのとれる政治家の出現が期待されるそして、「足を万里の流れにそそぐ」一万里を流れる長大な川の流れでゆっくりと足を洗うということから、俗事にとらわれないで悠々とするといいのではないでしょうか。「急がば回れ」で多少手間がかかっても、堅実な方法をとったほうが得策だと、また「運・根・鈍」成功をしようとするには、運のよさ、根気の良いこと、かたくななほど粘り強いことで、「自分の身は、自分でまもれ」と初代会長からのお話でした。(朝子)

よくご趣味はと聞くことがありますが、その方がどのような趣味かで、だいたい、話が、できます。時(チャンス)です。まずは、試してみてから、考えても良いのではないでしょうか?ためらわず、進まなければ何もうまれません。是非とも、そのチャンスのがさないようにしていただければ、嬉しく思います。

五三、誠子が愚痴をこぼしたことはありません。ただただ努力し続けてカッコイイととても嬉しく思います。

最後に自分自身の文化力を高めて下さいませ。

初代会長の幼き頃

初代会長の幼き頃

初代会長

首相官邸にて

初代会長 大内五三 夫 行岡剛

夫 行岡剛 初代会長 大内五三


◆ 学院長プロフィール ◆

大内誠子
日本創美和装協会会長
大内きものカルチャーアカデミー学院長
創美新舞踊大内流家元
日本舞踊西川流師範 西川紋矢(日本舞踊協会会員)

父行岡剛(第一高等学校、大阪帝国大学医学部卒、医学博士)母大内五三(愛媛県立今治高等女学校卒、前会長、夫行岡剛戦死後実家の大内籍に復籍)の二女として、大阪府箕面牧落にて出生。1964年大阪女子学園短期大学食物科卒業。同年「松下電気」入社。後、1980年日本創美和装協会設立(某協会を脱退、母大内五三が同協会を設立)時に、大内きもの学院(後大内きものカルチャーアカデミー)の学院長に就任。2008年 前会長大内五三没後、同協会会長に後継就任。

認定校瀬尾静子きもの学院(徳島県)、慈装きもの学院(神奈川県)、名張きもの学院(三重県)、日装きもの学院(愛知県)、橋口きもの学院(福岡県)、又直営校大内きものカルチャーアカデミー、又そのチェーン校等を束ね、伝統のきものの継承、教育に活躍中。また並行して、日本舞踊西川流師範 西川紋矢として活動、1989年「創美新舞踊大内流」を創立、家元となり、門弟の指導、育成に当る。その際、中之島ロイヤルホテル・ロイヤルホールにて家元襲名パーティーを行い、各界の著名人や議員様初め評論家の方々そして生徒さん初め関係各位様のご臨席を賜り、流舞 新内 大内三番叟を披露いたしました。大きな行事として、協会主催「創美きもの着付祭典全国大会」を毎年開催。今年第32回目をクレオ大阪西に於いて10月29日(土)にとり行う。また舞踊においては、隔年開催の「花かさね会」がある。今年第11回目を国立文楽劇場にて、9月25日(日)にとり行う。

他に近鉄文化サロン奈良、阿倍野(着付)近鉄文化サロン上六(舞踊西川流、大内流)よみうり堺文化センター(西川流、大内流)OBCラジオ大阪カルチャーサロン(大内流)大阪産経学園梅田校(西川流)各講師。

付け加えれば、その他の資格に、美容師、栄養士、華道嵯峨御流教授、伊賀白鳳流手組紐師範、日本作法会教授、新内武蔵派名取。

著書に「きものの歴史と歳時記」「きもの着付教本」その他副読本数冊。

賞として「舞踊顔見世賞」、「伝統芸能懇話会・演技賞」2度他受賞。尚初代会長没後、講師の賛同を得て、三女朝子が副学院長に就任いたす事に成りました。私、同様、どうぞよろしくお願い致します。

以上。

次に相羽秋夫先生編著「夢舞台、新舞踊の華たち」の本文中、家元大内誠子の紹介文のところを、そのまま引用、掲載させていただきました。よろしければ、一読下さいませ。

にしかわ もんや 創美新舞踊大内流家元 大内誠子(西川紋矢) ―― 優しさと易しさを原点に

「たおやか」な美女

「たおやか」という言葉は、この家元のためにある。辞書には「しとやかで優美なようす」とある。今年ン歳。美女の年齢は永遠に謎である。
自ら愛車を運転して、大阪市内の各所や、西大寺、堺など広範囲の稽古場を廻る。たおやかな体のどこから、このバイタリティが沸いてくるのであろう。
家元は、大阪の箕面で生まれた。当時、父は大阪大学医学部に籍を置く医学博士で軍医であった。
幼少にして母の実家である愛媛県大三島に移り住む。母の父、つまり家元の祖父は、造船所を営む島の素封家であった。
ここで、家元は日本舞踊と初の接点を持つ。木登りの得意な活発な少女であったから、運動神経が発達していたのであろう。最初の師匠は藤間伊登代である。
中学校一年生で、大阪に戻る。しかし、可愛い娘一人の下宿住まいが待っていた。
舞踊熱は、大阪女子学園短期大学の頃に再燃し、山村流の山村雅哉を経て、1977年に西川鯉矢にたどり着く。

師匠の西川鯉矢は「大阪文化祭賞本賞」「関西舞台芸術賞」等を受賞、NHK「芸能花舞台」に度々出演。鯉矢の女形芸を紋矢(大内誠子)はしっかり会得している。

西川紋矢の名で師範をつとめていたある日、弟子から新舞踊の指導を要請される。その要望は日増しに多くなり、西川流の師範を続けつつ「創美新舞踊大内流」の創流に至る。
後述することになるが、母、五三が会長をしている「日本創美和装協会」の「創美」と、本名の大内誠子とをそのまま、新舞踊における流派名と芸名にした。
1989年12月23日、住吉大社神前で創流の誓いを立てる。30人以上の弟子と新しい歩みを始める。名取りが半数以上の20人もいる充実した出発であった。それからの活躍ぶりは、目を見張るものがあった。

次々と舞踊教室を広げ、たくさんの弟子を獲得していく。2年に1度開く「花かさね会」という一門会が、舞踊の成果を見せる最大のステージとなる。
家元は、舞踊の世界だけにとどまってはいなかった。鯉矢に入門した同じ年、母が会長職にある「大内きものカルチャーアカデミー」の学院長に就任する。40か所以上の着付教室の運営と指導で目のまわるような忙しさなのである。

着付の世界でも活躍

それだけではない。婚礼着付と貸衣装の仕事にも手を染め、一層の多忙を極める。
舞踊の世界と着物とは無縁の存在ではない。むしろ、着物を自分で着られない踊り手が圧倒的だ。
家元は、この舞踊と着付を巧みに連動しつつ、日本の伝統文化をいかに普及し後世に伝えていくかに、腐心する毎日なのである。
その1つの具体例が、日本創美和装協会傘下の全国の着付学院が参加する「きもの着付祭典」で、今年22回目を数える歴史ある催しである。

大内きものカルチャーアカデミーは、大阪府知事賞、大阪市長賞、大阪21世紀協会賞等、多数受賞者を出している優秀校でもある。留袖や振袖の着付コンテストをメインとして、ブライダルショーや、家元の舞踊、門下生の群舞など盛りだくさんのプログラムが組まれていた。

家元の舞踊家として、また着付の学院長としての活動のなかで海外公演が比較的多いのも1つの特色のようだ。これまでにフランスのパリやベルサイユ、ニュージーランド、オーストラリア、ハワイ、サンフランシスコ等、まさに世界を股にかけた働きぶりなのである。
この「きもの」と「舞踊」の美と技を外国の人に披露するという体験は、「多くの外国人が、日本の伝統文化に深い関心を持っているということに驚き、また素晴らしい外国の文化に触れることで、日本の良さを再認識することができました。そして、それを伝承する責任を感じます」と、家元の指導に奥行と幅を増す。

その指導の基本を、「踊りは優しさが一番」に置いている。「人の心の真実を大切にし、踊りを通じてそれを伝えていくことだと思います」と語る。「技術的にも、易しさをモットーにしているんですよ。でも私の振付けはむつかしいと皆が言うんです」
「優しさ」と「易しさ」をペースにした精力的な指導が売り物だ。

だが、こぼれるような美しさと、あふれるような女性らしい気品の家元に、男性の弟子が居ないことが、唯一の気がかりである。「圧倒的に女性のお弟子さんが多いんです」
だから、弟子入り希望の男性は、大歓迎である。きっと家元の人柄と踊りの奥義に納得されることと思う。
また、息女西川右雅(西川流家元直門)と西川紋辰矢は共に西川流師範で、舞踊家を志している。

サンテレビの舞踊番組「芸能夢舞台」(毎週水曜日、午前9時より放送)のCMに出演するなど、家元の活動の場はとどまるところを知らない。
振り付けに、指導に、そして舞台出演にと、まさに八面六臂の大活躍が、これからも続いていこう。

夢舞台 「新舞踊の華たち」 著者 相羽秋夫 より抜粋

◆ 副学院長プロフィール ◆

にしかわ ゆうま 大内朝子(西川右雅)
親戚
1977年10月20日生まれ。
大阪府にて生まれ0歳から大阪市難波で育った。その後大阪市住吉に引越しました。
三女である。
血液型はAB型。母方の祖父、祖母、母、姉二人全員AB型。天秤座。
家族の一員として可愛い女の子ランちゃんはアビシニアンのルディー、男の子ジルくんはアビシニアンのレッドです。(父親は、離婚しておりますが、京都大学大学院卒業後、弁護士、血液型は、A型です。)

幼稚園のころは姉とも歳が離れていたため、その上初代会長や学院長たちは夜中過ぎまで働いていたため、独りでお小遣いを貰っていたため、夜中中自転車でみなみのまちを走っていました。ようやく、学生位の体重まで落としました。お酒はあまり太らないようにと思いやめ、また、やめてみたら考え方もだいぶ変わりました。私は今のんでふらふらとする立場ではないと思います。飲んでもノンアルコールビール(サントリーのALL-FREEがカロリー0、糖質0なのでこれにしています。)にしています。私の先生たちもお酒をやめているとのことです。低体温で、頭がふらふらしたので病院に行ってみたところ、生命に危険ありということで、急いで体温を上げないといけないため、体温を上げる薬を今飲み続けています(漢方薬)(体温を上げて、仕事をしているため、体重が減ったと思います。体重がピークのときより18kg減、中学生の時よりやせました。)。新地とミナミに友達がいるため、そこに飲みに行きます)。私ももう副学院長になったので、何も気にならなくなりました。初代会長は全国一売り上げていたため、通りすがりによく文句を言われたそうです。ですが、言われるうちが華よと言っておりました。私も前からそれを目指しているのですが・・・。変な仕方で儲けたら、言われているうちが、華、と言われないです。初代会長や現会長(学院長)を、幼い頃から学んだことは、きものの「美しさ」、「優雅さ」など、きものの中から伝わる様式と、着物の着方などを綺麗に着れるまた、自分らしさのお勉強や動作楽しく学べる内容となっており、きものを着る回数が増えると段々と人様にと、日本の伝統文化が少しづつみえてきて、目標は、遠く大きいですが、いろいろな角度からのお勉強だと私は、感じております。高島屋さんにロ−ズホ−ルで創美きもの着付け祭典をしているときは、その当時も有名ないろんなテレビ局のアナウンサーをお願いし、もちろん今では、一流のアナウンサーになられてます。(もう辞められましたが野村さんなどなど)松下の元サンフランシスコ支社長のお母様にあたる、土居千鶴子様には、当カルチャーアカデミーの宣伝広告係りしてもらっておりました、また、五三会会長の渡辺第二病院の(今は婿様子様がされてますが、だいぶまえから、長者番付に乗られてます。)(1997年頃に相談はすんでおります。)お母様渡辺浩子先生にも、あなたにかかる心配事はないと言っていただき清々しく初心を忘れず慢心することなく、頑張る所存でございます。

私達は、日本の伝統文化、伝統芸能のお勉強をしておりますが、いろいろと、習ってそして書物などを読み、自分自身に目には見えない満足感そしてもっともっとしりたいと思うことは、自分自身の向上へつながり、たのしくなっていきます。私達以外のお仕事の方々もきっと同じ気持ちではないでしょうか。まだまだこれからなので、勉強を怠らず、行っていきたいとおもっております。

松尾塾子供歌舞伎のお稽古がはじまりました。松尾塾の塾長先生から、藤間良蔵先生に、3回で覚えるこということになり、3回で覚えようと、思っています。皆さんにご迷惑がかからないよう、慢心せず、初心を忘れず頑張ろうと思っております。勿論、名古屋にも、西川まさ子先生に、花かさね会ゆかた会の踊りと、松尾塾のお稽古も見ていただきますが、流派により、型が違いますがみていただきます。お稽古は、行かせてもらてっおります。どうぞよろしくお願いします。

近鉄では、授業をさせていただいているため、積み立てと外商に入っています。ですが必要なものは祖母が買ってくれていたためあまり買ってはないですが(買い物はいろいろばらばらで、固定はしていません)。 それと車なのですが、フランス製の店員さんだったのでフランス製シトロエンにしました。シトロエンも普通のままは嫌だったので、ホイルとモールを車と同色の赤に塗ってもらいました。母にジャガーを薦めたのですが、私はあまり車に関心がないし、大体家の車庫に入らないのでいらないと言われ、初代会長はジャガーをとても気にいってたので、写真だけでも撮っておこうとなりました。従兄はベンツに乗っています。それもあってジャガーにしたのですが。私はちゃんとした意味で、フランス製のシトロエンにしたのです。(会長から、自分が車の運転がしにくくなったら、運転免許をとってもいいという許可がでて、嬉しく思っております。初代会長は運転免許を持っていなかったため、私に車に乗せる約束で買って頂いておりました。) 私の仕事上、一番気に入っている曲は、坂本冬美さんの「凛として」と「命は夢で・・・」(初代会長のことを思い出し・・・亡くなられた、被災者の事を想い、胸が痛みます..。)(作詞西川右近 作曲神のぼる 編曲京田誠一)です。この曲を選んだので、一度聴いてみてください。本当に嘘を付くのをやめて下さい。公益法人もよくよく考えてみようと思います。時は流れております。(舞踊会に出ないといけないため、只今倹約中)私の普段の生活を分かっていただければと思いかかせていただいております。

松尾塾子供歌舞伎に入るまでは、塾、クモン、英会話、書道、エレクトーンを習っておりました。松尾塾子供歌舞伎の初代塾長先生の教訓は、義理人情、質素倹約でした。(先代の松尾波壽江先生のお稽古中のカセットテープや、二代目松尾昌出子先生のカセットテープを、家宝にするために残しています。もちろん西川流のテープもそのようにしております。)それは今も変わっていないと思います。松尾塾子供歌舞伎に入り大変しごかれたため、余程の人に言われないと普通では、応えなくなりました。(前から足がしびれるので生徒さんに凄くよく効く整体の先生を紹介していただき、もみほぐしをしていただいたところ、どうやら私自身の体が力を溜め込んでいき、発散しない体質であることがわかりました。そのため足がよくしびれたりするのが、他の人よりひどいということでした。名古屋の内弟子さんの巴喜先生も日を決めてもみほぐしにいっているとのこと、私はお風呂でも、粉だけ入れてあまり長くつかると、しんどくなるのですぐにでます。生徒さんは毎週行かれているとのこと、私も時間が空いているときに行こうと思います。学院長に相談した時は、学院長は筋肉痛じゃないのかと言っていましたが、ついに自分も整体に行くことを決めたようです。母は足が痛くても筋肉痛と思って踊っていたのですが、整体へ行ってみた所、もみほぐしをしないといけないということがわかり、空いている日に行っているようです。私はあまり休みがないので行けないのですが、会の前は必ず行こうと思っています。)小学5年生より松尾塾子供歌舞伎第一期生として入塾。普通では考えられないくらい厳しい塾生活でしたが、台本のところに難しい言葉等あり、台本を覚えるように学校の教科書を覚え、勉強がしやすくなったかと思います。

阿波の鳴門のお弓や釣り女の太郎冠者などをさせていただき3年間の塾生活が終わる。その後1年母(現 会長 大内誠子・西川紋矢)習い、中学2年生より名古屋西川流お家元西川右近先生(藤間流宗家、六世藤間勘十郎に師事。その後数々の賞を受賞。もちろん、鯉三郎お家元がそばに居られました。)(指導 西川まさ子先生。この形は、鯉三郎お家元の形等と教えてくださり、鯉三郎お家元のビデオで、練習されています。もちろん現家元にも習われています。)に学び、ひな菊会や花かさね会に出演、現在もつづけている。2005年大阪舞台芸術新人賞受賞(過去の代表的受賞者片岡愛之助など)。(広辞苑では、嘱望とは、望みをかけること。期待することをさす。)。三代目大内きものカルチャーアカデミーは大内朝子(西川右ま・西川右雅)がつぎ、新舞踊は、西川まさ子先生との約束で、家元直弟子は、本名(勿論 大内朝子)でつがなくてはいけないとのことです。(ブランド物を買っているのは、海外で賞や感謝状をいただき、日本文化を理解していただいたため買わせてもらってます。また、アメリカのテロ以降海外に仕事で行かなくなりましたが、それまでは一年置きに海外で文化交流を行っておりました。最近また、行きたい方が増えてはいるのですが、今、着付けの会は毎年あり、踊りの会が一年置きにあるためなかなか行けません。また、行くつもりにはしております。決して車、ブランド物に関しての無駄遣いはしておりません。初代会長が首相官邸で写した着物が色鮮やかになっていたり、その他いただいた、きものも色鮮やかになって驚いております。Salvatore FERRAGAMO,CHANELLの鞄のシミが置いていてたまたま見たら、シミがなくなっていることに気づきました。初代会長や現会長が作家様の着物やブランド物はやはり職人様の力があり、物も命が宿っていると言っておりましたが本当にそうなのだと感心いたしました。)

私西川右雅(西川右ま)(お家元右近先生の右とまさ子先生の本名の雅をいただいております)は、名古屋をどりは習い始めた時から出演しておりません(名古屋をどりは、興行です)。名古屋をどりは、私は先代の鯉三郎お家元の生誕100年には群舞でださせていただきましたが、ホテルに泊まり疲れました。ひな菊会(中学3年生から毎年出演しておりました。)の方はさすがに、名古屋のお嬢様が多いため、出演料は高いです。)に出ておりましたが、先代の鯉三郎お家元の生誕100年には出演させていただいておりました。基本的には、前は毎年あった「ひな菊会」という、若いお嫁入り道具のように、家元西川右近主宰西川まさ子指導の会に出させていただいておりました。名古屋のお嬢様方が嫁入り道具の一つとして、習われておりました。私は、初代会長が先代の西川鯉三郎様が好きだったので行かせていただいておりました。また、今年から「ひな菊会」の名前が変わり「みやび会」なりました。お家元が、みやび会の役目として簡単にまとめさしていただきますが、日々成長する子供さんの姿を見て、「何をしてあげれば良いのか?」という気持ちは総ての親御さんの心にある問題だと思います。 心の教育、子孫に伝えたい事、心を伝えていくために、芸事が、役に立てば幸です。子供さん達の、成長が、見えれば「みやび会」の存在価値があり、子供さんと親御さんの橋渡しに役立てればとのことです。もちろん、お稽古には行っております。是非とも見に行ける方がおられましたら、見に行って下さいませ。
西川千雅先生と橋弁慶、西川まさ子先生とは吉野山や峠の万歳、武蔵野を踊らせていただき、大変嬉しく思っております。師匠でもある西川まさ子先生に、女で一人ですぱっとしてみたらと言われそうするつもりにして、勉強しております。

着付では初代会長 大内五三が45歳のときより始め40数年の歴史があり、当カルチャーアカデミーの教本を読んで頂いたら解るように、もうその時からきもの離れが始まっていましたが、どうしても、日本の世界に誇れるきものを残したいという希望から海外や国内で色々なかたちで発表の場をもうけ、伝統文化が趣味の世界という様な形だけではなく、多くのかたにも認識していただければと思い、芸術の都パリでのことを一部載せさせていただきます。海外の文化交流に当カルチャーアカデミーで参加。その当時文化庁文化財主任調査官の高橋秀雄先生、全日本郷土芸能協会の鈴木昭良先生に良きアドバイスをいただき、第10回 日本伝統文化ベルサイユ祭'90では、フランスのベルサイユ市から、その年ではじめての銀メダルが出た時に、世界ではじめての銀メダルを大内誠子がいただきました。その他感謝状など、多数いただきました。海外でブライダル発表の場の時はさすがに海外、色々行かせていただきましたが、新郎は現地のかたをお願いし紋付き、袴をきていただきショーを毎回行っておりました。そして、バスでは新郎様が先におり、あれっと思うとちゃんと花嫁様が降りる際手をとってあげ階段から降ろして下さっていました。また、日本舞踊や新舞踊また、簡単に作れる組み紐を現地の方にプレゼントしました。ジャンニベルサーチのお店へいった時は、草履のことをniceシューズと言われ、これは草履(京都内藤)と言います、などなど色々なことが沢山ありました。その時、初代会長、現会長、副学院長と3人で行き、スーツを買わせてもらいました。
初代会長 大内五三の主人が行岡で亡くなったため復籍し、女性が自立して結婚する・しないは問題ではなく、すばらしい人生を送られている方々に、片隅にでも置いていただければ嬉しかったのではないかと私は思います。

他の学院さんとの出発点が、当きつけ学院と少し異なりがあり、他の学院さんを悪く言うつもりは全くございません。当カルチャーアカデミーは皆で盛り立てればいいと、思っております。初代会長が主人が亡くなり、このような方向性になっております。それは主人が阪大病院の第一内科におり、微生物研究所におりました。(祖父がなくなり、親戚に医者が多いため、いろいろな病気を研究中。)中国で病院を建てようと思っていたからです。これも何かのご縁、このご縁を大切にしたいと思っております。私も産まれていたかどうかも分かりません。初代会長のことだから、沢山習い事をしておりましたので、中国でしていたかもしれません。それにより、プロフィールをつくらせていただきました。只今、公益法人を取ろうかと検討しております。当カルチャーアカデミーは他のきもの学院さんとは違い直営で、独立採算ではございません。それぞれが個性を持ちつつ、ですが主旨は変わっておりません。主旨があったため習いに来られる方の立場に立って教本を作らせていただいておりますので、わかりやすいかと思います。一度見学にお越しいただけることを楽しみにしております。初代会長はミナミのナンバシティーにある、銀座アスタ−で、私はよく、自転車に乗って行き、昔はよく行って色んな話をしておりました。 現会長が新舞踊、日本舞踊に力を入れているのは、初代会長と現会長がもともときつけで数千人教えて、やはり歩く姿が少しぎこちなくなっていることで、始めました。現会長は重要な時に見るため、あまりお会いする方が少ないかと思いますが、もちろんきつけも教えられます。きつけは副学院長が講師とともにするだけですが、講師と言っても沢山千人以上教え、初代会長の時からの講師も沢山残って、もちろん現会長の時からの講師もおります。ただ副学院長がこなす人数が増え、日本舞踊で賞をもらったため教えております。まだまだ未熟者ですが、もちろん副学院長も着付けは教えられます。本などを読み勉強しております。帯結びは、自分であちらこちらとでれるとき、ものなどを基本的にみて考えております。まだまだ頑張って参りたいと思っております。

現在は着付(花を題材に帯び結び研究、きもの歳時記や、きものの生地、などなどその他)日舞(西川流お家元の舞は、西川ももよ先生の大内の花宴など基本的な練習)新舞踊(あらたなふりつけを堀内孝雄さんのもので考え中)女らしさのマナー(例えば、バイバイではなく、さよならと自然にマナ−を心がけてみてください、そして、お中元やお歳暮の習慣がなくならないかぎり、歳暮はその字の示すとうり、年の終わりの事、その一年をお世話になった方に、御礼の意味で贈り物をすると、わかりますが、中元というのは、もともと、中国のしきたりで、1月15日を上元、七月15日を中元、10月15日を下元といい、罪を贖う日に決めていたものといい、キリスト教でも、7月10日を贖罪の日として断食をするらしいです。どちらにせよ、対象は仏教やキリスト教のはずでした。 贈る人は、どうしても差し上げなかったら、落ちつかず、正しい贈答をしたいものです。[心]の代理をさせるのですから、受けとる方でも、[物]の後ろにある心は、大切にしたいですね。又少し話が変わりますが、例えば社長夫人がたまたま社長室にこられたとき「ご主人は?」と聞かれたら「おりません」「出かけました」ではなく、「おいでになりません」「おでかけになりました」と答えられては、いかがですか、また、馬鹿におなりなさいと言った って、物のよし悪も見分けられないような、正直正銘の馬鹿になることではなく、いわゆる、お馬鹿さんになれば、家庭ないでも、楽しい家庭が、持てるのではないでしょうか。きもの着付けなどでは、女性らしい、礼儀作法やきものを着た時の立ち振る舞いなども当学院は、学べます。たまたま、本部のちかくに女性らしくなるための、初辰様があり、通るときは必ずおまいりしています。住吉大社のちかくです。また、手紙の書き方が、なぜ、前略から初めてはいけないかなど等、また、着物姿で特に早い時間から、お酒を飲むのは、みっともない姿、飲むならノンアルコ−ルで、少しの心ずかいからマナーをみにつけていきましょう。その他多数)ことわざや(おごれる者はひさしからず、雄弁は銀 沈黙は金と私なりに考えて両方つかいわけると、プラチナになるかも?など、その他多数、此の忙しい世の中、家を出たときから、旅が、はじまったようなそんなきもちで、仕事、遊びへむかわれてみてはいかがでしょうか?すこしたのしくなるかもしれないのではないでしょいか、私も心がけています。同じ道すがらでも、いろいろ、とあたらしい、1日です。いろいろな変化心豊かになってしまうのは、私だけかもしれませんが。)、いろいろな日本の関係の本(文楽、三カ国語の本写楽、広重、嵯峨御流大鑑、植物、動物、もちろんきもの関係や日本舞踊、歌舞伎事典、組み紐、大阪百景等々たまに、御抹茶をたてていたたりして、会長から習っております)世界の服飾、美術の本やそのかたわら華道嵯峨御流を学んでいる。新しい帯結びを考案。今まで以上頑張ってみようと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

着物の作家の横山優先生とたまたま仕事の時にお会いし、皆さんにそれぞれに短冊をくれました。それは全員違う事を書かれ私には「発想の転換」と言う言葉を頂きました。私は初代会長との約束でするべきこと(学校の勉強、成績は5番以内をキープ、踊りは名古屋まで学校に行きながら通い、着付は本でよみました。知らない人から話しかけられたことが数回あり一人の時はグリーン車に乗るようにするようにとのこと。行きは近鉄特急でお弁当を食べて、踊りのDVDを見ながら人気の少ない車両をお願いして、お稽古をしながら行っております。帰りはグリーン車に乗っております。)はちゃんとするから学生の間までは遊ばせて欲しい(おいしい物を食べ歩きしひどい時は寝ずくで三日間ずぅーっと食べつづけたり皆で行っていました。また買い物など、初代会長の形見わけで貰った指輪・フランスに仕事に行った時CHANEL本店のオリジナルで最後の一個と言われついつい買った鞄を一番気に入っています。(小学生のときはKENZOU、中学生のときはVUITTON、高校生から短大生まではCHANELを初代会長に買って貰い、私が学生でテスト期間中で海外の仕事に行けなかったときは、初代会長にHERMESのスカーフを買ってきてもらっていました。現会長にはCartierを買ってきてもらっていました。初代会長もFranceへ行った際、CHANEL本店オリジナル鞄を買っておりました。名古屋にお稽古に行く時は、四世家元西川千雅先生が服で来てと言うので、服で行っています。鞄はVUITTONかETROかCHANELのボストンにしています。まだ結婚していないのですが、マリッジリングをPIAGETでホワイトゴールドとイエローゴールドを買い、サブにNIESSINGでシンプルな少し太めのシルバー色が真ん中に入っているのとゴールド色が入っているのとを買いました。初代会長の部屋には、HERMESの指輪があったので形見分けにもらい、鞄はHamanoをいただき、最近現会長には、COMTESSEとHamanoの鞄をもらいました。)五三に買ってもらいました。また賞の時HERMESのケリー・デペッシュを買って貰いました。これは希少物だそうです。この鞄は仕事で一番大事なときに持っております。FRANCK-MULLERの着物にもあう時計も買ってもらいました。また副学院長になった時も、ケリーデペッシュを学院長に買って貰いました。・・・仕事上家政科に通っていました。)といい許可をえました。中学から短大まで行っていました。幼稚園と小学校は精華に通っていました。中学生から短期大学まで女子校に通っておりました。学生時代はアルファロメオのハイトップバージョンの車を知り合いが探してくださり、もうそのときなく中古で買ってもらったのですが、あちこちぶつけて、約1千万円修理代がかかり、その時だけは、初代会長に、悪いことをしたと思い、今でももうしわけなくおもっておりますが初代会長は子供に玩具を買ったみたいなものだといってくれましたが、今でも悪かったと思っております。世間は狭く、後で友達に言ったら、友達の従姉のかたの嫁ぎ先だった事がわかりました。入社祝いに初代会長に車イギリスのジャガーのExecutiveのフル装備に変えてもらい、スモークも貼っておりました。一生のるからという話で買い替えました。芸術の都パリで個人的に母も賞をもらっているので、フランス製のシトロエンに買い換えました。それまではスーツを着ていましたが、今はジーンズを、講師の主人が阪神電鉄にいるので、阪神で買っております。余り派手にしないようにしておりますが、五三会応援会の会長に相談した所、あまり派手にしない方がいいと思うけれど特殊な仕事だから難しいわねと言われました。その後交通事故に遭い、その交通事故の時、夜中の2時くらいで母には通と危ないからと言われていた道で、場所は飛田新地の所でした。ふらふらと信号無視で急に歩いてくる人がいて、はねたら大変と思いハンドルを切ると前の車に追突。買い替えて3か月しかたっていなかったのが廃車になり前の車はペタンコ。そして最初はその前の車の人が心配していたのが、知り合いの建築屋さんに頼むと突然早朝より家まできて怒鳴り散らし警察官を呼びお金は返すようにいわれ、保険会社を通せとなり、終わりそれ以後車は乗るなと、母が免許証の書き換えに行かせてもらえずただいま電車、徒歩とタクシーにしています。私は五三と一緒にいたことが多かったため助かったと思います。その発想の転換を私はして進んで実行したつもりです。良くも悪くも考え次第だと思います。きっちりと短冊に書いて下さった優先生に感謝しております。皆さん芸術家で横山優先生ご夫婦の着物(紙芸)や、能登の上島洋山先生の着物が気に入っております。初代会長や現会長に作家物の着物を譲ってもらい(八十助ごのみ先生や二代目清次郎先生,斎藤三才先生,KenzoTakada先生,コシノヒロコ先生(もちろん正絹等々)の着物と帯等々を譲っていただきました。初代会長と現会長に大変感謝しております。)、やはり、着ていた人を現す何かが有るなと、さすがに関心しております。作家様の技術や技法等又その先生方の生きた表現方法に心が打たれました。講師陣は、やはり副学院長になったためちゃんとしておくようにと言われました。着付けで技術やきものの勉強をすることが大事かと思います。日本文化史の側面から、今こそ深く勉強する必要性があり、そこにきもの着付の本義があります。しかし、そこに至るまでにはきものの「心」をよく理解し、きものをとりまく諸々の知識、目標は遠く、大きいですが、それだけに勉強の甲斐があるというものです。(「言うは易し行うは難し」「慌てる乞食は貰いが少ない」「有為転変は世の習い」「魚心あれば水心あり」「御意見五両堪忍十両」。言ったことは、初代会長がしなければならないと、常に言っていました。基本的には初代会長が言っていることが正しいと思います。時代の流れに合わせ、どのようにすればいいかは、一般人ではわからないことがいっぱいあると思います。まさに、政治を見ないとわかりませんが、初代会長は「言った事はしなければならない、言うぐらい誰でもいえる」と常にいい「人はおかしくなったら、他人は喜ぶ、だから人に頼りすぎず自分の仕事をまっとうしろ」とよく言っていました。職業はいろいろですから・・・。また、バブルが来るよう頑張らないといけませんね。私はバブル絶頂期の子供ではないので、バブルを見てみたいです。)

唯一の趣味というと、仕事と家で二人の家族の一員として可愛い(猫でランちゃんとジルくん)を相手に遊ぶのが楽しい一時です。(好きな芸能人は、前から中村玉緒様です。)ごはんと水はエルメス、ファンファーレシリーズのフッペルで食べさせています。私は普通の茶碗とコップで食べています。私は、LOBMEYRで青汁を飲み、お稽古中は深川でお茶を飲んでいます。ビールを飲んでいたときは江戸切子で、ウイスキーはバカラ、ワインは漆のものにしています。特別美味しいお茶を飲むときはエルメスのコップ、焼酎を飲んでいたときは白いコップにグリーンの水玉模様のもの、ブランデーはバカラのブラックエンジェルにしています(初代会長が外に飲みに行かせないように、グラスを買ってくれました)。また、あまり休みがないので、間接照明や応接セットのところは14色ライト、寝室はブルーのライトにしてくつろいでおり、生徒さんのドイツのお土産の花瓶、高級な花瓶など、たまたま高島屋を歩いていたら、自由の女神で炎のところにライトがついている物があったので部屋に飾っています。初代会長が短歌と水彩画を習っていたので、色紙を部屋に飾っています。初代会長がFranceで何十年も前に買ってきてくれた、太陽のような柄のHERMESのスカーフや、また最近買った女の人の柄のスカーフを部屋に飾っています。音楽は、箏曲、尺八、和太鼓、通信販売で買ったPARADISE MEGA HITS'80s等、またクラシック、和楽器のすべて、日本の癒、琴ヒット演歌、ジェイコブ・コ−ラ−のシネマティック・ピアノ・パラダイスやTHE BEST OF HAKASEなどいろいろなものを聴いております。

幼少のころ化粧品会社の社長にシャネルの小さな鞄を貰ったため、私が大きくなって初代会長、学院長にはシャネルのイヤリングを誕生日にプレゼントしていました。今は学院長だけですがプレゼントしています。近鉄で授業をさせていただいている為、つみたてをこつこつとひそかにし年に一回ロエベで鞄等を買いましたが、来年も買える範囲であれば買おうと思います(副学院長になったため月に1回しか休みがなく勉強もしないといけない為、あまり出歩かなくなりました)。もちろん自分のものは自分で買っています。

何処の学院に行けばいいか自分にあった学院を見付けてください。私達のような仕事は、生徒さんにお月謝をいただき、技術を教えます。預かった生徒さんに少しでもよくしてあげようと思っています。着付や踊りを日々の進歩で、あれぇ前と違うとか思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは良くなって頂きたいの気持ちでいっぱいです。怠りすることはございません、注意をしているだけです。これがいろいろな形に進んで頂けたら本当に嬉しく思います。皆様方の成長ぶりをいろんな方に見ていただいて下さいませ。

主旨といたしましては、女性の自立(結婚されている方、されていない方関係なく、自分を見失わず、ちゃんとしていれば、素晴らしい出会いができるかもしれません。是非とも頑張って下さい。また、大内人形のように夫婦仲良く出来ますよう、頑張っていただきたく思っております。飲みに行くときも、奥様を連れて行かれている方達も沢山いらっしゃいます。仲良く頑張って下さい。楽しみ方は人それぞれなので。世界にも目を向け、例えばイギリスでは、美容師(ブライダルの仕事をするために)は高貴な仕事、それもあり、イギリス製のジャガー、韓国では、いい家柄の方達が芸能人をされております。その事もあり、松尾塾子供歌舞伎に入門(先代の塾長先生が、芸能人にさせるために名前を考えてくださったのですが、個人的には芸能人希望ではありませんので。)、在校生卒業生皆様自信を持って頑張って下さい。昔のFrance人は、謝ったりしなかったのですが、今のFrance人は謝ることもあります。)女性らしさ、優美とした立ち振る舞い、センス、お洒落そして、頭と体力(余り無理せずに)初代会長、学院長(補佐:朝子)は数千人の生徒を教え、初め講師の人はほぼ1000人以上教えているものばかりです。教本もみな覚えております。記憶力アップなどです。勉強力、日本が世界に誇る伝統文化である「きもの」を後世に伝える、日本文化のすばらしさ、伝統を、その他諸事のまつわることのお勉強などなどです。よろしくお願いいたします。

銀座の小松屋さんが大丸心斎橋店に毎年来られ、今年も行こうと学院長と話しています。新たな進歩がありました。ようやく本名だったら新舞踊の会に出れるよう、まさ子先生から承諾を得ました。ですが余り会は控えるつもりにしています。まだ賞もまだ一回だけしか貰ってませんし、もっと安定したそして表現力などまだまだ研究しなければいけないと思います。まだ努力しなければいけないと思います。応援してくださっている方に心から感謝しております。

習いにこられる方が誤解をされないように少し説明をしなければと思いますが、着付けを習い踊りも習わないと、と思われているかたがいらっしゃるかと思いますが、当カルチャーアカデミーはそれは特別行っておりません。着付が好きなかたは着付を、踊りが好きなかたは踊りをとわけております。ただ両方されているかたもいますし、それぞれです。踊りは体力もいりますが、習われているかたたちはまた華やかで決して無駄にはならないと思います。素晴らしい表現、貴方様だけのものを生み出してくださいませ。
まだまだこれからなので頑張って参りたいと思っています。

西川流で私の師匠お家元西川右近(西川まさ子)先生五代目にあたる西川カーク(カーク・重雅・ディクソン)様が只今アメリカのロスでNOSSを教えられ、アメリカでも日本舞踊を広げていかれるとのことで、大変嬉しく思っております。是非とも成功させてほしいです。素晴らしい先生方に感謝しております。姉が自営業の次男に嫁ぎ、前向きに考えて、子供を勉強と両立して、とりあえず踊りを習わすことになりました。私も次に繋がるよう、勉強していきたいと思っております。

私は色々な方達に支えられ、とても嬉しく思っております。私は、ただ頼るだけでなく、沢山の応援者がいて、また尊敬している曾祖父曾祖母、祖父祖母、母また家族、師事している先生方、好きといったら、好みと、返して下さっている先生方の優しさに感謝しております。関係各位の方々、もちろん生徒様方(在校生、卒業生、またブライダルでご結婚された方々、応援してくださる方々に厚く御礼申し上げます。)、そのように思うだけで何かをいわずして、乗り越えられる壁があると思います。被災者の気持ちはきっと、分かるかと言われると、その方達にしか分からないことがあるかと思います。ですが分かろうとする事は、皆さん出来ると想います。気持ちだけでよければ、毎日仏壇に手を合わせ祈っております。私達の仕事は第一に夢を与える仕事です。どうか乗り越え、また楽しいことが起きますよう、心からお祈り申し上げます。

私事なのですが、娘ランちゃんが大きな手術をしました。私にとっては宝物です。たまたま早期発見でしたが、こんな小さな体でもって、一生懸命頑張っていると思うと私も頑張って仕事をしないとと胸が痛みます。辛いですが悪性でないことだけを心配しています。何とか頑張って欲しいです。ランちゃんが乳癌でした。抗癌剤を打って、サプリメントでもしかしたら癌が飛ばせられるかもわからないと先生がおっしゃったのでなんとか頑張って欲しいです。病院に行ったところ、抗癌剤とサプリメントを飲み続けると、手術せずに治ることになりました。なんせまだ12年くらいですから、この方法にかけようと思っています。もともと細く、私と初代会長にしかなつかなかったので、初代会長の形見のように育てていました。代われるものなら代わってあげたいくらいです。なんとか頑張って欲しいです。無事ランちゃんが癌から治りました。本当にうれしいです。サプリメントを飲むだけでよくなりました。今度は、心臓を患い、薬を飲みつづけなくては、いけなくなり、心配がつっきます。私事ですいません。

賞状


大内きものカルチャーアカデミー

●入学申込み、お問い合せ フリーダイヤル 0120-470728

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